環境保全と経済発展の関連性

環境保全が急がれている

地球という場所に住む以上、なるべく汚さないようにするというのが我々人間の責務です。例えば放射能などで汚してしまうと、住みたくても住めなくなりますし、中国のPM2.5のように、大気汚染が進めば肺がんなどにかかる人が急増し、やはり人間が住む環境ではなくなります。

 

また、そのような小さい問題ではなく、発生する温暖化ガスにより地球全体の温暖化が進んでしまうと、海流なども変化してしまい、台風の異常発生などにより今のようなバランスの取れた環境ではなくなってしまうことも考えられます。

 

これによりエコが叫ばれている

以上のような危機感を感じている人が多くなってきたので、エコという言葉が聞かれるようになりました。地球を一つの家に例えるならば、汚い家よりも綺麗な家の方がいいに決まっています。単純にこのような考えだけでもエコは大事だと思いますし、地球の環境が変化して住みにくい地球となってしまうという懸念もありますので、エコという観念は当たり前のことだといえます。

 

しかし、環境破壊と温暖化は全く関係ないという意見も

これだけ温暖化が進んでいると思われている地球ですが、それでも何億年という単位で考えると、以前も今のような温暖化変化があった時もあるということから、必ずしも今現在排出している排気ガスなどが原因で温暖化となっている訳ではないという意見もあります。しかし、これはあくまでも予想であり確たる証拠がある訳ではありません。これは私の個人的な意見ですが、疑いのあるものは排除して行くという考えが重要であり、環境破壊によって温暖化が進み、数年後には住める環境ではなくなっているという危機意識を持ち生活して行くことが求められると思います。

 

エコと経済発展は正反対にある

経済発展が進むと環境破壊が進み、逆に経済発展が進まないと環境は維持されるという一定の関係性があります。経済発展というのは何も難しい経済学者や株式市場などを言っているのではなく、我々の生活そのものが経済発展に関わっています。今は不況だといわれていて、賃金の問題や子育て問題など何かと不平不満の声が聞こえてきます。この声により行政は福祉を充実させたり雇用を改善させたりします。更に個人的にも事業を拡大させたり、株式市場に投資したりして経済発展に寄与しています。このような動き全てが経済であり、その経済が発展すればするほど開発が進み環境破壊が深刻化していきます。

 

ジレンマに悩む

我々人間は、片方で環境破壊を憎んでいますが、片方では豊かさを求め環境破壊に加担しているというジレンマを抱えています。このジレンマは大なり小なり皆が持っており、それを知っているが故に大体的にエコに踏み切れませんし、行政も動きが鈍化しているのです。

 

それでも、燃費をよくしたりゴミを減らしたり、排出ガスを減らしたりなどの努力をしていますが、それでも経済が発展すると物を作るのにかかるエネルギー量が増す傾向にあります。例えばエコカーに乗り換えるといいますが、確かにエコカーに乗りかえればガソリンの消費量が減りエコのような気がします。しかし、地球全体としては車の材料である鉄の採掘エネルギー、加工エネルギー、作った車の運搬など、車の材料を採掘するところから出来上がるところまでのエネルギーと、実際に購入した際にエコになり排出するガスが減ることとを天秤にかけた場合、はるかに新たに車を作り上げるという方がエネルギーを必要とします。

 

このように実際にはエコのようでも、地球にとっては全くエコではないというケースが数多くあるのです。エコという言葉を巧みに利用した企業の経済発展ということも大いに考えられるのです。

 

しかし、やらないよりはいい

とはいっても、長い目で見れば燃費を増やすということは地球にとってみればプラスとなります。しかし、これからは単純に燃費を伸ばすということではなく、その製作に関わるエネルギーコストを減らす取り組みというのが必要になってきます。

 

どのような方向性が正しいのか

私自身今の人間が向かっている方向性は間違ってはいないと思います。このままエコ商品がどんどん開発され、更に制作に関わるエネルギーもどんどん低下させていけばいいと思います。しかし、商品制作に関わるエネルギーコストを低下させるということは、人間の仕事が減少するということを意味しています。なので、これからはものを生み出すというサービスよりも、例えば介護やカウンセリング、新しいネットビジネス、現在の仕事を簡素化するサービス、エコ関連サービスなどが台頭してくるのではないかと思われます。